ライブで感じ取れるもの~あの"アツい感じ"について考えてみた~
こんにちは、さめです。
今回の記事は、少し違った趣向で書いていこうと思います。
題材は、「ライブでのあの感じ」といえばいいのでしょうか。
ライブならではの「あの感じ」を少し心理学の視点から考えてみようと思います。
※なお、筆者は心理学専攻ではないので間違っている点は多々あるかとは思いますが優しい目で見てやってください。
1.事の発端
なぜ私がこの観点で記事を書こうと思ったのか。それには理由があります。
先日、10年ほど前に放送された某アニメの劇場放映イベントが発表されました。
そして私は、すぐさま旧友のA氏に連絡をとりました。
彼はその某アニメの大ファンであり、Twitterアカウントも作成してから一度もそのアニメのアイコンから変えたことがないという筋金入りのファンでした。
「もちろん、参加するだろう」
私の中にはそんな確信がありました。
しかし、彼の返事は予想だにしないものでした。
「俺はそのアニメを何回ももう見直したし、俺の中できれいに完結している。これ以上何か新しい発見があるとは思えないし、何かを新しく感じ取ることはない。だから行かない。」
そう言い放なった彼。
正直戸惑いましたが、よくよく考えてみれば確かに彼の言い分にも一理あるなぁと今では思っています。
確かに、イベント内容は彼が幾度も視聴したであろう、アニメの再放送。
劇場放映・大人数参加とはいえ、放映する内容は彼が何度も見てきた光景。
それが繰り返されるわけです。
そう自分の中で納得しつつも、心の中に芽生える小さな反論を彼にぶつけるには至りませんでした。
「確かに新しい発見はないかもしれないが、普段では感じられないような情動があるはずだ」、という反論を・・・・。
2.心理学的には
高揚感、一体感、感動・・・。
これら「感じ」は、人によって感じ方も違い、さらに言葉や活字にするのは極めて困難なものです。
また、「涙」や「笑顔」という、これまた言葉にすることができない感情を伴うその現象は、主観的なものであり数値化できないシロモノであることはみなさんもご存じかと思われます。
これらの「感じ」のことを、心理学的には"クオリア(感覚質)"と呼びます。
「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。(wikipediaより)
ラブライブ!サンシャイン!!でたとえれば、
「MIRACLE WAVEのロン爆が成功した時の湧き上がる"あの"感じ」
「new winding roadでスタンドマイクを持つ鈴木愛奈さんの姿に感動し涙する"あの"感じ」
「内浦の海と空のあの青々とした感じ」
などでしょうか。
この"クオリア"が発端の話とどう結びつくのか。
それは、「いくら展開を知っているイベントであろうとしても、その知識・記憶を越える何かを感じ取ること(クオリア)ができるのではないか。」ということ。
そして、それこそがライブやイベントで感じるあの"アツさ"なのではないか?ということです。
たとえば、ラブライブ!サンシャイン!!みんなで上映会を思い出してみましょう。
キャストの登壇・未視聴の最新話があったという違いはあれど、最新話まではすでにTV放映された話が上映されますよね。
そのとき、いつにもまして感動しなかっただろうか?
普段なら泣かないようなところで泣きはしなかっただろうか?
いつもより余計に感情移入できはしなかっただろうか?
また、ライブ、とりわけライブツアーを思い出してみても同じことが言えます。
ライブツアーは、会場さえ違えど基本的には同じ曲目・同じ演出で披露される場合がほとんどです。
3rdツアーを例にとってみましょう。
ツアー埼玉2daysですべての曲(日替わり曲、また福岡公演で新たに披露された曲を除く)が披露されました。
そして迎えたツアー大阪。
このとき、ツアー埼玉2daysに参加した人は「曲の順番・演出を知っている」状態で参加することになります。
次はどの曲がきて、バックモニタにどんな感じの映像が流れて、演者がどこからでてきて・・・という情報をあらかじめ知っている状態でライブに臨むわけです(もちろん、すべてを覚えているわけではありませんが・・・)。
なのに、泣いてしまう。感動してしまう。笑顔になってしまう。
よく耳にする「(どんな演出か)分かっていても無理。」という言葉通り、そこにはやはり知識・記憶といったものを遙かに凌駕するモノ、クオリアが存在している証なのではないでしょうか。
ここに、今回の記事のタイトルである「ライブで感じ取れるもの」があるのかもしれません。
3.思考実験「マリーの部屋」
この掴みどころない"クオリア"という現象が登場する有名な思考実験として、「マリー(メアリー)の部屋」というものがあります。
このブログでは、ラブライバーの皆さまにわかりやすいように仮に「鞠莉の部屋」としてその実験内容を紹介します。
1.白黒の部屋で生まれ育った小原鞠莉という少女がいる。
鞠莉はこの部屋から一歩も外に出た事がない。
つまり、小原鞠莉は生まれてこのかた「色」というものを一度も見たことがない。
2.鞠莉は白黒の本を読んで様々なことを覚え
白黒のテレビを通して世界中の出来事を学んでいる。
3.鞠莉は視覚の神経生理学について世界一線レベルの専門知識を持っている。光の特性、眼球の構造、網膜の仕組み、視神経や視覚野のつながり、どういう時に人が「赤い」という言葉を使うのか、「青い」という言葉を使うのか、など鞠莉は視覚に関する物理的事実をすべて知っている。
4.さて、彼女がこの白黒の部屋からダイヤと果南によって解放されたらいったいどうなるだろうか。生まれて初めて色を見た鞠莉は、何か新しいことを学ぶだろうか?
ここでもし鞠莉が新しいことを知るとしたら、そこにはクオリアというものが存在し彼女が獲得していた物理情報は事足りなかった、ということになります。
この実験、まさにライブでの「あの感じ」を表していますよね。
どれだけ展開を知っていても、どれだけ歌を毎日聞いていても、それを超えてくる「何か」がライブにはある。
たとえ目をつぶっていても泣いてしまうような、そんなステージがそこにある。
つまり、ライブの本質はそれぞれ参加者がそのステージから感じ取るクオリアにあり、絶対的な正解などない。
各々の心の中に発生する、普段にはないその時その時の情動こそが演者があなたに伝えたかったことなのではないでしょうか。
「心に刻むんだ この瞬間のことを」
この歌詞は、そんなことを歌いあげているのかもしれません。
4.最後に
私は、このラブライブ!というコンテンツにとって「ライブ」はとてつもなく大きいものであると感じています。
それは、私が一気にラブライブ!に引き込まれた契機がμ's 3rdライブ参加であったことが起因しています。
あのライブで、「みんなで叶える物語」という漠然としたコトバをライブで肌で感じたあの時のときめきがいまだに忘れられません。
正直、ライブ前までは、まだどこかの遠い星の物語だと思っていました。
しかしあの瞬間、すべての歌詞が自分に降り注いできました。
「答えなくていいんだ 分かるから 胸に描く場所は同じ」
「まっすぐな想いが みんなを結ぶ」
「自分からもっとチカラを出してよ」
これらの言葉が、耳ではなく、心に直接届いた。
私という存在は、彼女たちの描く「みんなで叶える物語」の当事者だった。
今までにない感覚。それが、このコンテンツにはあった。
だから、このコンテンツのライブにはできる限り行こうと決めました。
そしてその気持ちは、ラブライブ!サンシャイン!!が始動してからも消えることはありませんでした。
彼女たちが求めた「輝き」。
それは、私たちの心の中に芽生えた「クオリア」なのかもしれません。